英作文の練習に取り組む小学6年生の男の子が、「ジェーンは若いです。」という日本語を「Jane is young.」と英訳しました。そして次に、その文を否定文にする課題に取り組み、「Jane isn’t young.」と作成したときに、彼は「ジェーン、なんだかかわいそう。」と感想をもらしました。単純な英語の文法作業に見えるかもしれませんが、この言葉からは彼が英語の背後にあるストーリーやキャラクターに心を寄せていたことが感じられます。
英語教育において、文法や単語の習得はもちろん重要です。しかし、その学習が単なる作業やパターンの暗記に終わってしまうと、言語本来の持つ魅力や力を感じる機会が少なくなります。
この男の子が見せた「ジェーンに同情する」という反応は、彼がその英文の背景にある人物像を想像し、物語の世界に入り込んでいたことを示しています。たった一文の英作文でも、彼はそれを単なるルールの適用ではなく、感情を持った一つの世界として捉えていたのです。
このような気づきは、学習者にとっても指導者にとっても大切な瞬間です。文法的な正確さを追求するだけでなく、学習者が言葉の意味を深く理解し、さらにはそこから想像力を働かせることで、英語が「生きた言語」として学ばれていくのだと思います。
特に、小学生という発想力が豊かな時期において、こうした体験は大きな価値を持つはずです。
穴埋めや機械的な文法練習も確かに役に立ちますが、実際に自分の言葉で文を作り、その意味を考える作業は、言語習得において非常に重要です。
この男の子の反応を見て、私たち指導者もまた、言葉の背後にある「人間らしさ」や「感情」を忘れずに伝えていくことが大切だと再認識しました。英語の学習は単なる知識の積み重ねではなく、コミュニケーションの手段としての本質を捉えるための道筋であるべきです。