テキストは、小説を読むという想定のページへ。
CHAPTER1:The bridge
物語はIrisという女性が、妹Lauraの車ごと峡谷の橋からダイブした事故死を知ったところから始まる。時は第二次大戦が終わって10日後のこと。Irisは気持ちが動転しながらも、妹が自殺したことを確信する。その秘密は、bureauのdrawerに妹が隠したノートの中にあった、というもの。
ん、もう・・・
テキストを読んで最初に感じたのは、;;;;知らない単語だらけ。
・・・・英文は(もちろん口語もだけど)単語の集まりでできている・・・・
そんな当たり前のことだった。
アーロン先生は、容赦なく問いかける。
Who is the narrator?
私:(え?ナレーターって、テレビのドキュメンタリーなんかで、あの、その・・・ナレーターはナレーターやんか)
(わかったこと)この物語の「語り手」のこと、つまりIrisが答えだった。
Why Laura plunged off the bridge?
私:え〜〜っ(思わず、素)
I can’t understand.
アーロン先生
What do you think? Try! Try!
この物語テキストには、いっぱい謎めいたことが散りばめられており、そのワケや背景の説明が書かれていない。
で、当然の成り行きながら、アーロン先生のWhat?、Why?の連発となり、答えに詰まって沈黙の時が長い・・・
なぜアーロン先生は、いつも、「どう思う?」「かまわないから、言ってみ」「トライ!」を促すんだろう?
私はいつもうなりながら、文法もふっとんで頭の中から、ほんとムリクリ思うことを単語の羅列でもいいや、とひねり出す。
こんなことなら、夏目漱石を読むレッスンを続けた方がよかったかも・・・。
いや、待てよ。
私は何かに気付いた気がした。
いくら、テキストが(・・・仮にですが;)すらすら読めるようになっても、どうなんだろう?
日本語と英語の差違を感じることはそれはそれで面白いけれど、英語の表面をなでて楽しんでいるだけなのかもしれない。
英語を学ぶことって、何だろう?
単純な話、
いまの自分の考えや感じること、伝えたいことを、
日本語を使うのと同じように、英語を使って伝えることができるようになること。
同様に、ひとから聞かれたことを理解して、答えることができること。
こうやって文字にすれば、「そんなん当たり前やろ」ときっと誰からもいわれることだろう。
自分も当然わかっているものと思い込んでいたことに65歳の今さら、気が付いた。
これが現実。
スタートラインに立ったつもりで、もう一度、気持ちを新たにやってみよう。
春だし。