サーフィンの神様!?ジョージ・フリース

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サーフィンといえば、1にハワイ、2にカリフォルニア。

ハワイは古代からのサーフィンが、スポーツとして発祥した地といえるけど、本土のカリフォルニアにはどうやって伝わったのだろう?

そして、この写真集に収められた写真を撮ったドン・ジェームズたち、まだビーチスポーツやビーチで過ごすことがライフスタイルに取り入れられる前の時代の若者たちが、どうやってサーフィンに魅せられるに至ったのだろう?

そんな疑問に答えるサーフィンの歴史、いってみればカリフォルニア編。

続きをどうぞ。

Then, in 1908, Alexander Hume Ford founded the Outrigger Canoe Club at Waikiki to promote traditional Hawaiian sports such as canoe racing and surfing. Gradually the sport began to reemerge.

1908年になって、アレキサンダー・ヒューム・フォードがワイキキにアウトリガーカヌークラブを開いた。カヌー競技やサーフィンといった伝統的なハワイのスポーツを広めるためだった。次第にハワイの伝統スポーツは再び台頭してきた。

In 1931, George Freeth, the “Bronzed Mercury” immortalized by author Jack London in his essay on surfing, was lured to the mainland by local developers eager to populate the empty Los Angeles beaches.

1931年にジョージ・フリース、その名は「ブロンズ色のマーキュリー(メルクリウス)」として作家ジャック・ロンドンのサーフィンに関するエッセイで不滅のものになったが、フリースはロサンジェルスの人けのないビーチに人を呼び込みたいと熱望する地元の開発者に本土へ誘い込まれた。

Freeth’s surf-riding exhibitions in Santa Monica Bay drew record crowds, enticing new converts to the Hawaiian aport of kings.

サンタモニカ湾で披露されたフリースの波乗りの実演は記録的な数の人を集め、王国のハワイのスポーツへの熱狂的な新たな転向者を惹き付けた。

In 1920, there were perhaps two hundred surfers in Hawaii and California. Most of the mainland riders were directly inspired by Freeth’s brief stay, but they were left largely to their own devices following his untimely death.

1920年には、ハワイとカリフォルニアを合わせてもサーファーの数は200人程度であった。大半の本土のサーファーたちはフリースの短い滞在により直接的に刺激を受けたのだった。しかし、彼らはフリースの早すぎる死によって導く者がないままほとんど自己流でサーフィンを続けた。

They made up as they went along, crafting ninety-pound red-wood boards that cut through waves without the help of fins, fiberglass, or foil design.

(引用:SURFING SAN ONOFRE TO POINT DUME 1936-1942/ photographs by DON JAMES)

彼らは依然、フィンやグラスファイバー、箔押しのデザインに頼ることなく、彼らのやり方で90ポンドのレッドウッド材で波を切って進むように加工してサーフボードを作った。

商神マーキュリー(メルクリウス)はギリシャ神話ではヘルメスとされるローマ神話の神で、ヘルメットや小杖や足首に翼を付け、2匹の雌雄の蛇のからみついた小杖(和解の象徴だそう)を手に持つ。この杖は、欧米では商業の紋章として用いられることが多く、日本でも東京商業学校・一橋大学の校章として制定されているそうだ。

*アーロン先生のワンポイント

「left largely to their own devices」とは?慣用的な表現で、誰もガイドする者がいなくなって、自分流で、といった意味やで。
私、辞書を引いて見つける。
「leave O to O’s own devices」忠告や援助を与えず、人を勝手にさせる。そうなんだ。どうりでdeviceを辞書で引いても、「え??これ、意味ワカラン」かったというわけ。

アーロン先生の寸評(英語)